キ*リ*ン*ジのこと

書かなきゃ書かなきゃと思いながらも、書いたら気持ちが落ち着いてしまいそうで。

でも昇華したいから書くのに、なんて矛盾。

 

アルバム47’45”からわたしのキリンジ人生がはじまりました。
このアルバム、とんでもない曲ばかりなのに、それをあのヤスのほんわかした声で歌うんだもん。
長くなるので別ページへ。

今まで音楽とは父親が聞くソウルミュージックだったりブラックミュージックだったり、日本なら山*下*達*郎だったり、ボーカルがしっかりしている音楽しか聞かせてもらえなかったわたしが、はじめて出会った不安定な音楽でした。
(語弊があるので補足。不安定だったの。なんていうか。曲の作りの問題じゃなくて。)

兄ちゃんの書く毒のある歌詞や小説を読んでいるかのような歌詞に弟のあのボーカル。
福岡ではじめてライブをやってから、わたしが呆れて行かなくなるまで10年以上福岡のライブは欠かさず行ったし、遠征もだいぶした。
前期の試験の前日にも大阪までライブで行って、試験当日に間に合うように夜行で帰った事もあったなぁ。
ライブの時にばったり元彼に会って大泣きしながら前列で見ていた事もあったし、
今もやけど、ヤスがよく歌詞を飛ばすので、最初の頃はみんな口パクで手伝ってあげていたり。
車と女の大合唱、双子座の手拍子、九州ツアーで踊りまくった事、アルカディアとブルーゾンビの神がかりプレイ、大分の野外の「元気いっぱいキ*リ*ン*ジ」。
ヤスの最初なんてほっっっっっっっんとに歌が下手で、でもだんだんうまくなっていってさ、途中から母親のような気持ちで今日はミスんないかなとか変な服着てないかなとか心配になってきてさ。

こまつの事を知ったのもキ*リ*ン*ジだったんだよ。

たくさんの思い出や思い入れがあるけど、進化は決して悪い事じゃないし、わたしはヤスが脱退する事も賛成派だったよ。
いつかこんな日が来る事も気づいていたし。

「キ*リ*ン*ジ」という名前を終わらせたくないっていう兄ちゃんの気持ちはファンとして嬉しかったし、これからの期待もわずかだけどしていた。
だけど、「キ*リ*ン*ジのようなもの」のままでいて欲しかったんだよね。
もちろん嫌いな奴がキ*リ*ン*ジ(Kirinji)の肩書でやるっていう嫌悪感があってここまでの拒否反応っていうのもあるよ。
だけどなんか違うんだよ。
素直に兄ちゃんのキ*リ*ン*ジ(Kirinji)を聞こうっていう気がおこらないんだよ。
全く楽しみだって思えないんだよ。
何だろうなぁ、一言で言えばガッカリ。
そういう編成にしようと思った兄ちゃんにガッカリだよ。
これから「キ*リ*ン*ジが好きです」って言えないよ、恥ずかしくて。

やっぱり兄ちゃんとヤスのキ*リ*ン*ジが好きだったんだな。
ヤスソロ(馬の骨)もバンド編成は好きだけど、もごもご・・・・
あぁ、やっぱキ*リ*ン*ジの2人が好きだったんだな。

長かった恋が終わったと、そういう事なのかもしれないね。

あのNHKホールで泣いて終わらせたっていう。
忘れよう。
思い出は思い出のままでこれからも旧キ*リ*ン*ジを聴くしかない。

っていう、わたしの単なる思い出話と昇華日記でした。

 

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